獣医師から聞いた、私たちが知らない動物病院とペット保険の関係
2012/07/19
動物病院の数は近年、全国的に増加傾向にある。
一方、ペットの飼育世帯数はここ数年微減が続いていることから、動物病院間での顧客争奪戦は勢いを増し、競争が激化している。また、人気の犬種が大型犬や中型犬から、室内飼いのできる小型犬へシフトしたことも診療単価の減少を招いた。
1病院あたりの平均売上額は減少傾向にあり、勝ち組・負け組といった動物病院の二極化が進みつつある。
難関大の獣医学部を卒業後、獣医師として動物病院に勤務、現在は独立開業したM氏に、ペット医療業界の裏事情を訊いてみた。
繁忙期は手術する時間がとれない
犬や猫などペットを対象にした動物病院は、一般的に、4~6月が1年の中で最も忙しい。その理由は、法令で義務付けられている狂犬病のほか、多くの予防接種がこの時期に集中しているため。4~6月の動物病院の待合室には、連日、予防接種待ちのペットを連れた飼い主であふれ返っている。
「予防接種の忙しい時期にヘルニアや膝蓋骨脱臼などで来院したワンちゃんには、様子見としてとりあえず痛みと炎症を抑える薬を与えて、手術などの本格的な治療を先送りすることもよくありましたね。」と、前述のM氏。
もちろん、彼のこの指摘は、すべての動物病院に当てはまるものではない。むしろ良心的に診察してくれる病院も数多くあるだろう。それを前提に、彼はこう続けてくれた。
「普通、手術は午前と午後の診療時間の間の休診時間中に行うのですが、繁忙期は昼食を取るのも難しいほど忙しい日が続きます。それに、夏から秋にかけては毎年、病院の売上が減少する”閑散期”を迎えます。春に来院した患者さんを経過観察として毎月来院していただいて『なかなか良くなりませんね』と言いながら、本格治療を閑散期まで先延ばしにするんです。」
脱臼やヘルニアの手術は閑散期に
つまり、極端な見方をすればこういうことになる。
病気によっては、春から初夏に発症した場合と、秋以降に発症した場合では、治療に要する期間が全く違う場合がある。動物病院の繁忙期にあたる春~初夏の場合には、直ちに生死にかかわらないような病気は治療期間が不当に長引くことがあり、支払わなければならない治療費の総額も高くなるという事だ。
例えば「膝蓋骨脱臼」という、特に小型犬に多く見られる病気がある。いわゆる「ヒザのお皿」(膝蓋骨)が内側や外側にはずれる(脱臼する)病気で、先天性のものがあるほか、フローリングで足を滑らせたり、過激な方向転換などが原因とされる。膝蓋骨脱臼は症状の程度にもよるが、多くの場合、手術治療を要する。しかしM氏によれば、4~6月の超繁忙期に膝蓋骨脱臼と診断すると、しばらく様子を見ることにしてすぐに手術に取り掛かるケースは少なく、一方、秋~冬の閑散期の膝蓋骨脱臼はすぐに手術を行うケースが多いと言う。
もちろん、あらゆる動物病院がこのような対応をしているわけではない。しかし、こんな理不尽なことが、私たちの知らないところで実際に行われている場合があるというのだ。
来院した犬や猫が保険に加入していることを知ると…
それでもM氏が勤めていた動物病院は、その地域では規模が大きく、来院患者数も比較的多い。そのせいもあって、あるペット保険会社の提携病院に指定されている。治療に来るペットの中には、同社のペット保険に加入する犬や猫が結構な割合で見受けられた。
同社のペット保険に加入する犬や猫がこの病院で治療を受ける場合、病院の窓口でペット保険証を提示すれば、治療費の総額から保険による補償分を差し引いた金額のみを支払えば済む、いわゆる「窓口精算方式」。病院窓口での金銭的負担が軽くなるため、同社のペット保険に加入する飼い主はみんな、診察時にペット保険証を病院側に提示する。
飼い主にとってはとても便利なこの仕組み。しかし、これについても前述のM氏はこう指摘する。「当然の話かもしれませんが、『この犬はしっかり保険に入っている』ということが我々獣医も診察前にわかってるんですよ。これって実はすごく重要なことで、例えば投与する薬に迷った時、ペット保険に加入しているペットなら高額な薬も使える。また、治療費が高くなりがちな手術治療に躊躇せず踏み切ったりもできる。どうせ薬代や施術費の大部分は保険で補償されるのだから、と考えてしまいますよね。」
便利な「窓口精算方式」に潜む、見えないリスク
M氏の話を整理するとこういうことだ。
窓口精算方式のように、病院窓口でペット保険証を提示するなどして保険に加入していることを確認できたペットの治療は、そうでないペットの場合と比べて、高い薬を使用したり手術を行うことを決断しやすくなる場合がある。要は”過剰な”治療や投薬が行われやすいのだ。
もちろん、獣医師ほどの専門的な知識に乏しい飼い主には、その治療や投薬が過剰であることに気付きにくい。また、保険によって治療費の一部が補償されるため、過剰な治療や投薬が行われた場合でも、直接的な金銭的負担は少なく、”過剰”であることが見過ごされやすい。
一方、保険に加入しているかどうか判断できない場合には、病院は飼い主の懐具合にもそれなりの配慮をする。高額な薬の投与をできるだけ避け、しなくても良い手術は、なるべくしない。
厳しい競争にさらされる動物病院にあって「あの動物病院は高い」という悪評は病院経営の大きなダメージになりかねず、飼い主の金銭的負担をやわらげる努力をする必要があるのだ。
動物病院と提携していないペット保険会社の保険に加入している場合、病院窓口では治療費の全額を飼い主がいったん立て替えて支払い、後日、治療費の一部をペット保険会社へ請求する、いわゆる「立替精算方式」。そのため、飼い主が自ら申し出ない限り、来院したペットが保険に加入しているかどうか動物病院側が把握することが難しい。
こうしたケースでは”飼い主に良心的な治療“が施されやすくなり、結果的に治療費も抑えられることになる。
窓口精算方式にしろ、立替精算方式にしろ、現在販売されているペット保険のほとんどは、治療費の一定割合(10~50%)が補償されず、その分は自分で負担しなければならない。したがって、治療費の総額が高くなればなるほど、保険で補償されない自己負担分も高額化し、懐が痛むことになる。
保険加入の有無によって治療のさじ加減を変えるような動物病院は、それほど多くはないだろう。しかし個々の病院の治療実態を把握することが難しいため、私たちが通う動物病院に限ってそんなことはない!とは必ずしも言えない。万が一、重篤な病気になった場合には、人間の病気ではあたりまえになりつつあるセカンドオピニオンをもらうために、別の獣医を訪ねてみるのも良いだろう。
動物病院側に保険加入が知られる「窓口精算方式」は、飼い主にとって便利である反面、私たちには見えにくい隠れたリスクが潜んでいるとも言える。
だから「窓口精算方式」は掛金が高い
「窓口精算方式」は、人間の場合の公的健康保険制度と同じような仕組み。治療費のうち保険でカバーされる分は、動物病院がペット保険会社へ直接保険金を請求する。公的健康保険制度の仕組みと似ていることから、動物病院やペット保険会社の間で、この保険金の請求に関わる明細は「レセプト」と呼ばれている。
ペット医療では人間の場合の公的健康保険制度と違い、病院間での治療費が統一されていない。同一の治療行為でも治療費は病院によってマチマチなため、個々の動物病院のレセプトを円滑に処理するには大掛かりなレセプトシステムの開発が不可欠だ。必然的にシステムの改修やメンテナンスなどの維持費も膨大にならざるを得ない。
しかし、窓口精算方式には、システム維持費よりもペット保険会社を悩ませる種がある。
病院で行われた治療がペット保険の補償の対象になるかどうか、その判断は病院側でまず行われる。保険会社の収支を左右する「保険金支払い判断」の最初の部分が事実上、動物病院に委ねられていることを意味し、ペット保険会社にとっては、獣医師らの保険の補償範囲に対する理解度が死活問題になりかねない。
そのため、窓口精算方式に取り組むペット保険会社は、獣医師の教育に人や時間を多く費やす必要に迫られ、このことが結果的にコスト増要因となるのだ。
システム維持費と獣医師の教育。窓口精算方式を採るペット保険会社にとって不可避的な2つのコスト要因は、同社が扱うペット保険の割高な掛金にそのまま直結している。窓口精算方式は立替精算方式に比べ、飼い主にとっての利便性が高い一方、それ相応の掛金負担を強いられると言える。
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ライター紹介
石川 拓也
保険、共済関連のフリーライターです。昼間の顔は、某保険会社関連企業でアナリストをしています。1974年生まれ、男性。ちなみに、名前はペンネームです。 更新情報などを配信しますので、よろしければ、Twitterへフォローをお願いします。